アビタ67は荷重支持ができるプレキャスト・コンクリート製のキュービクル・ユニットをモジュールとして、これを積み上げて12階建てにしたものである。その積み方も均整の取れたものでなく、自然発生的な要素を持っている。
一つのモジュールは約46m2で、3〜4個のモジュールで1住戸となっている。モジュールを隣から買って、住戸を大きくすることも行われている。
駐車スペースもモジュールの数だけあり、4個のモジュールの住宅では4台分の駐車スペースがもらえる。電気料金を含め維持費もモジュール単位で計算される。
モシェ・サフディ自身もアビタ67に住居を持っている。内部の軽微な改装は構わないが、構造に影響する内装の変更や、外から見えるベランダなどに手を加える場合には、サフディの事務所のチェックが必要である。
アビタ67はいわば60年代の未来住宅である。その後これをより洗練した多くのアビタ計画が提出された。
モシェ・サフディがアビタ67を設計したのは彼が26歳の時である。この計画が実施にこぎつけたのは、チャーチル大佐など勇気ある支持者がいたからである。
モントリオール万博では数多くの時代を先取りしたパビリオンが建設された。しかしバクミンスター・フラーの設計した巨大ドーム(火事で焼失し骨組みだけが残っている)とアビタ67だけが当時のモニュメントとして残されている。
工場で生産されたモジュールは床・壁のみで天井がないボックス。上部にモジュールが載らない部分には、屋根スラブパネルが載せられる。屋上ベランダの手摺は植栽プランターを兼ねたプレキャスト製。
アビタ67では工場生産のバスルーム・ユニットが用いられてるが、ボックス・ユニットに組み込むのに、屋根スラブがないので都合が良い。
5階平面図
メゾネット型、フラット型1モジュール住宅などさまざま。1モジュールの大きさは幅が約4.5m、長さが約10.4mとなっている。
ボックス・ユニットによる新しい集合住宅形態 |
「住居に量産方式やクローズド・システムの難しさを過小評価することは危険である。住居は航空機よりもはるかに複雑である。航空機は物理的な性能の点で、明瞭な評価が可能である。・・・住居の場合は、フィジカルな問題に加えて、複雑な社会的、心理的問題が加わっている。住居は一般大衆に受け入れられるものでなくてはならない・・・」
「集住体のシステム」モシェ・サフディ 早川邦彦訳 1974年 鹿島出版会
住宅の工場生産化必ずしも生産性向上のためだけではない。現場で作るとすると大変なものでも工場生産方式ならばいとも簡単という場合もある。
コストダウンといった点ではこのボックス・ユニットはパネル・システムにかなわない。彼はコストダウン・メリットを多少犠牲にしても、ボックス・ユニットによる新しい集合住宅形態の可能性を追求しようとした。
アビタ67のような住宅をボックス・ユニットでなくパネル・システムや現場打ちコンクリートでやろうとしたら、足場とか型枠などが大変で費用もかかる。こうした集合住宅形態はボックス・ユニットだからこそ実現したわけである。
新しい形態を追求したサフディが基本としたものは、「家の傍らに戸外スペースを持つこと、日光そして住まいを自覚する能力は生存に不可欠である」ということである。
アビタ67に続いてネブラスカ州、ニューヨーク、プエルトリコなどでのアビタ計画が提出された。しかしそのどれもが行政当局の規制などにより計画案で終わってしまっている。
プエルトリコ・アビタ計画 1968〜71年