K+通信
第1号 1998年3月1日発行
発行 Kプラス
A:あの頃同時代の劇団は皆んな創造的に行き詰まっていたと思うんです。解散ということになってやっぱり挫折感がすごくありましたね。20年近くやってきたことがなんの役にも立たないというか・・。一人になってやるには役者でも演出や本を書く才能がないとやっていけない時代になりつつあると感じていましたから。とくに転形のようにセリフのない芝居など、演劇界でも特殊なことをやっていましたから、やっていくのを考えるのは難しかったですね。
芝居をやめて別な人生を生きようと思いまして、犬の洋服のデザイナーになろうと。去年死んだんですが、ポインターのジョディーという犬を飼っていまして、雨の日にレインコートが欲しかったんです。2年位はとても楽しかったですね。やってみたいことがいっぱいあって。大学も受けたりして、それで洋服の学校に入って作ってたわけですが、首のヘルニアになりまして、これはちょっと説明できない苦しみでした。
横になる姿勢が辛いので夜がくるのが恐いという感じです。お風呂に入っていると痛くないので1日中入っていました。洋裁は首に悪いので結局犬の洋服のデザイナーにもなれませんでした。2年位そんな感じで、大部良くなった時、芝居の出演依頼があったんですね。芝居は首が悪ければ悪いなりにできるところもあって、話があるとやるといった程度で、自分から積極的にやっていくという感じではなかったんです。ただ芝居に出させてもらっているうちに、私がやってきたこともそう捨てたもんじゃないと思えるようになりました。そこにくるのに10年かかりましたね。
Q:平田俊子さんとの出会いは。
A:1年半くらい前に龍昇企画の「ガム兄さん」(初演のプロトシアターの方)を見に行ったんです。出演者に知り合いがいて「行かないと悪いかなあ」みたいな全然期待しないで(ゴメンナサイ)で行ったわけですが、もうすごくおもしろくて、なんか風穴があいたような気持ちがして、役者がちゃんと生きている感じがしたんです。芝居がはねた後、残って飲んでいて、すぐ1本書いてほしいとお願いしたんですね。私がやりたい芝居が見つかったような気がしました。
「血まみれのんちゃん」もすごく面白いんです。でも読んで面白い本って演るのが難しいですよね。ハードルがとても高い本ですが、現場が面白くなるといいなあと思っているんです。できればまた書いてもらえるようなものにしたいです。で、その本を上演するのにKプラスを作ることになったわけです。
Q:Kプラスはどんな意味があるんですか。
A:名前を付けるのはほんとうに難しくてすごく悩んだんです。普通、犬とか子供とかに名前を付けますよね。私は子供もいないし、犬もすでに名前が付いて来ましたから、生まれて始めて付けました。Kは和代のKでプラスは、その時々で、例えば今回はK+平田俊子+鶴田俊哉というふうに、Kに足し算していっていいものができればいいなあという思いも込めた感じです。平田さんにアドバイスしていただきながら決めました。
Q:演出の鶴田さんとの出会いは。
A:もともと芝居を見るのは好きじゃなかったし、やってる時も見ていなかったんですが、さらにこの10年間は見ていなかったので、さて演出家といっても全く知識がなかったんです。致命的ですよね、見ていないということは。でもしょうがないし、今から見ているんじゃいつ上演できるかわかりませんし、平田俊子さんにまた1本頼んでいる龍さんが演出も場所も決まっているのに(如月小春さん演出で10月スズナリで)、私の方は本はできているのに演出も場所も決まってなくて、すごく困っていたところ、アトリエシマダの島田さんに紹介していただいたんです。去年9月にやった「海と日傘」(シアターサンモール)を見て、面白い演出と思ったみたいです。文学座の若手の演出の方で、私もフレッシュなこれからの人とやりたいという気持ちもあったんで良かったと思います。
Q:出演者については。
A:やったことのない人とやりたいというのと、ハードルが高い本なので実力のある人とやりかったです。瀬川さんは転形で一緒だったんですが、今度は全くからまないです。平田さんが瀬川さんを当てて書いたらしいんですが、それがすごーくぴったりで、平田さんてうまいなーって感心しちゃいました。出演していただけて感謝しています。大崎さんも久保さんも一度はがっぷりとやってみたい人だったのですごく楽しみにしています。
Q:チラシは高野文子さんが絵を描くということですが。
A:初稿があがって、「血まみれのんちゃん」という題だったんです。平田さんは詩人なので「血まみれ」という言葉と「のんちゃん」という響きのギャップがおもしろいということなんですが。ちょっと抵抗があって、他の人の意見を聞いてみたんですが、意外にも好評だったんです。それで迷っている時に、高野さんが頭に浮かんで「血まみれ」というどろどろの感じを高野さんのシーンとした絵の感じが消してくれるんじゃないかと思ったんです。思い切ってお願いしてみたんですが、引き受けていただいて本当にうれしく思っています。
Q:劇場はタイニーアリスということですが。
A:いまお金がないと芝居ができないし、みんな役者さんはプロダクションに入っていて、はい、ちょっとやろうというわけにはいかないですよね。昨年の11月から探したんですが、いまは2年も前から予約しないと押さえられなかったり、審査があったりして。タイミングが合ったのがタイニーアリスだったということです。それとは別に小さな劇場にこだわりたかったこともあります。転形の赤坂工房の感じが好きだったので、私の再出発にはふさわしいかなあと思っています。
Q:これからの抱負としては。
A:さし当たってはこの「血まみれのんちゃん」が何度も再演できるものになるといいなあと思っています。あとは元気で長生きして、おばあさんばっかりで芝居をやりたいです。
佐藤 和代 (プロデューサー)
1949年生まれ。1988年に解散した転形劇場に1973年に参加、以来全公演出演。代表作「小町風伝」の老婆(小町)。台本にセリフがありながら無言という構造が演劇的事件と注目された。ロンドン、ストックホルム公演で絶賛された。転形解散後いったん芝居から離れる。その後、楽天団「恋」、Uフィールド「すみれの花の咲くころ」、アトリエシマダ「白い地図」、金杉忠男アソシエーツ「花の寺」に出演。1998年Kプラスを設立。
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平田 俊子(作)
詩人。1983年第一詩集『ラッキョウの恩返し』(思潮社)を出版、毒と笑いのある詩集として注目される。以後、1987年『アトランティスは水くさい!』(書肆山田)、1991年『夜ごとふとる女』(思潮社)、1993年『(お)もろい夫婦』(思潮社)を出し、いずれもそこそこ話題となり、萩原朔太郎賞、高見順賞などの候補になる。
1997年10月、5冊目の詩集『ターミナル』(思潮社)を出版し、新たな境地へ一歩踏み出す。
現在、サンケイスポーツで芸能・テレビ評、西日本新聞(本社・福岡市)でおもしろコラム、図書新聞で芝居評を連載するほか、現代詩手帖、リテレール、国文学、早稲田文学などにも時々執筆。
著書としては、ほかに、西日本新聞連載の芸能人辛口コラムをまとめた『ふむふむ芸能人図鑑』(1996年花 書院)がある。
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鶴田 俊哉(演出)
1961年生まれ。熊本県出身。1986年文学座附属演劇研究所入所。現在文学座に所属。1991年今門洋子作「苺とジゴロと一日花」(文学座アトリエ)初演出。主な演出作品に「花の氷室」1993年(文学座アトリエ)、「メモランダム」1995年(文学座アトリエ)、「海と日傘」[ザジオフィス]1997年(サンモール)などがある。
1998年9月2日(水)〜6日(日)
マチネ
2:00開演 ソワレ 7:00開演
場所 タイニーアリス
スタッフ
照明 辻本
晴彦(満平舎)
音響 丸山涼子(ハートサウンズ)
美術 夏目 聖
宣伝美術 遠井明巳
企画制作 Kプラス
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